公認会計士 細野祐二さん著者
この本は、有価証券虚偽記載罪により逮捕され、現在最高裁に上告中の現役公認会計士である著者の、被疑者として取調べを受けてから逮捕され、最高裁への上告まで、壮絶な実体験と経過、その罪状となる経済事件を時系列に沿って書かれたノンフィクションである。
以前、読書カテゴリーで紹介した「法廷会計学VS粉飾決算」の著者でもあるが、実はこの本は、数ヶ月前に買って読む機会を失っていた本である。
何故なら、この本は431ページのハードカバーなので、持ち歩きが厳しいと思っていたのと、当時マイブームであった経済小説と勘違いしていたからだ。
友人に「法廷会計学VS粉飾決算」を紹介され、先にこちらを読んでから小説でも何でもない、実録経済事件本だ?!
と、ようやく気付いたこの1週間で読み上げた。
実際の事件が、粉飾決算や株価操縦と言われる会計、経済の専門的な話なので、会計に明るくないと難しい話にも感じるかも知れないが、問題なのは、一度疑わしいと思われたら、その無実を晴らすのがいかに難しいかと言う事だ。
この本では、検察の言うことがどれだけ矛盾しているか、捻じ曲げられた真実と無実の罪を着せられている著者の身上が詳細に書かれているが、この本で無罪確定!とはならない。
物的証拠、証言、証人、同業との比較、ありとあらゆるもので無実を証明していかなければならない。
本によれば、その証言や証拠ですら歪んで作り上げられる所謂捏造が起こり、かつそれが如何に矛盾していても「有罪」の判決が下りる。
それがまかり通っているのであれば、本当に怖いことだ。
例えば、昨日食べた夕飯が炒飯だったと本人が証言し、洗いかけの中華鍋、お皿、テーブルにはご飯粒等の物的証拠が残っていたとしても、裁判で「ラーメンだった」と決まれば、ラーメンなのだ。
。。。わかりやすく表現しようとしたら、すっかり自分の欲求が前面に出てしまい緊迫感を無くしてしまった。。。
ある日突然何かの事件の容疑者となった時、全く自分に見に覚えがなくても、それが立証出来るか?相手は経験を積んだプロである。
そんな事を考え込んでしまった。
また、この本を読んで、今まで勘違いしていた事に気付いた。
弁護士は自分を守ってくれる人ではなく、自分の主張を法律用語にし、代弁する人だと言う事だ。
言葉の通じない国に通訳さんが必要なように、法廷という場においてもその存在は必要なのだが、結局、自分の身は自分で守れというあたり前の事であり、彼等は救世主では無い。
全ての弁護士、検察、裁判官に当てはまるとは言わないが、彼等も仕事なのだ。
弁護士は勝訴にて成功報酬を得る。
例え真実がどうであれ、裁判に勝ちに行くのかも知れない。
勝てなくても、経験上の落とし所に沿った判決を取りに行くという技もあるのかも知れない。
そんな事を考えていると、ドラマで見る「先生何とかして下さいよぉ!!」という無実の被告は、実際の場において自分で何とかしなければいけないんだと改めてドラマはドラマを感じた。
現代社会は、たくさんのルールで成り立っている。
会社にしても学校にしても、地域の生活、公共の場、スポーツ、遊び、他人とのコミュニケーション、全てにおいてルールがある。
しかし、そのルールをどのように解釈し、どう表現するかは、各々の判断基準だったりする。
さて、来年から裁判員制度が始まる。
これだけ情報があるにも関わらず、どのような運用でどう対応してなんて事は、実際自分が選ばれてから調べようと思っていたが、経済事件の裁判員になる事もあるのだろうか?
経済に関わらず、専門的な裁判ではその用語を知らずに判断が出来るのだろうか?
冤罪という事件がある以上、裁判員一人一人の責任は大きい。