腹が減っては戦は出来ぬ。
により、ガッツリ「真田そば」を食べ散らかしたので、いよいよ我が殿、真田昌幸氏の上田城へと歩を進める。

この近辺は、マンホールの蓋までもが殿に敬意を表すべく六文銭である。
とぼとぼと大通り?らしき道を城に向って歩くと、

のような、この土地の言い伝えらしき看板?や真田十勇士の一人一人の紹介などがポツポツと登場する。
小さい頃からの忍者好きとして、片っ端からこの類の本を読み漁っていたので、猿飛佐助、霧隠才蔵、筧十蔵、根津甚八etc...懐かしさに目頭がうるむ。
いよいよ、一人興奮に酔いしれる。
自転車で通り過ぎていく地元の部活動生の後姿ですら、馬にまたがり徳川軍を打ち負かしていく勇者達に見える。
ど〜んッ!!!

逆光、そしてなんとも迫力にかける携帯写メールにより残念な画像に見えるが、上田城門である。
残念ながら上田城はいない。。。
関ヶ原の戦いで西軍が負けたため上田領を没収され、徳川家により破壊されてしまっている。
により今は兵どもが夢の跡である。
どどど〜んッ!!

ライトア〜ップ!!!

北櫓?もしくは南櫓。。。てへ、東西南北を見失った。
何気に昭和に入って移築復元されているので感慨深くはならなかった。
しかし、しかし!
どどどど〜んッ!!!!

真田石である。
昌幸氏が築城にあたり櫓門の石垣に使用。
息子信之氏が転封先に持っていこうとしたケド、大人数をしてもピクリとも動かなかったなんて有名な話ですな。
この石は本当に大きな一枚石。
写真ではちょっとわかりにくいが想像以上に薄い。
この昌幸氏お墓参りツアーに参戦する前、天地人の真田氏メインの回後に上田城が紹介されるミニコーナーがあった。
そこでもこの石の薄さが強調されていたので薄々感じていたのだが実際に見ても驚く程薄い!
しかしこれが柱石となり玄関である門にど〜んッ!と置くあたり昌幸氏の建築的センスの良さも垣間見える。ベタ褒め、後、恋は盲目。
やはり城がいないのは寂しい。
大阪城、安土城しかりだが、タイムスリップして戦国時代に行く事があれば、とりあえず勝った武将達に「城だけは!!!後世に!!!」と懇願しようと思うのであった。