器の大きさ |
2009-1-22 23:47 |
思い込みとは、これ如何に。
とある作業中、いつも出るはずの入力結果が印刷されていない書類に出くわす。
そういえば、ここ最近の業務分担により入力担当に変化があった。
入力不足により作業が滞る訳でも無いが、放置し、今後も同じ対応が続いた場合、処理に手間が生じるためモタモタ作業になることが当確する。
さてここで、今回からの入力担当は自分ともう一人。
つまり自分の入力ミスの可能性もおおいにある。
暫し遠い目で記憶を張り巡らせる。
「人のせいにしたらダメダメ!自分のせいなはず!」
心に何かを酸っぱくして言い聞かせる。
しかし、だ。
ここで人間のキャパというか器の大きさが露呈する。
心のどこか片隅に膝を抱え
「もう一人の彼女がミスったのかも?!」
なんてな気持ちが背中越しチラリと顔を覗かせる。
社交辞令的に記憶を辿り、8割強自分のせいでは無いと無意識に判断。
ここは一発ご指摘でも!
の前に、元々担当していた人に業務の確認にご機嫌を伺う。
「この入力表示が無いんですけど。。。最近、彼女が入力担当になったんですよね?」
伺うというより、ほぼホシを上げた若手新米刑事の事件発生直後のような口調。
「ん?これに関しては、彼女の入力は一切関係ないですよ。」
あうううううっ!!!
この瞬間、赤面と懺悔を繰り返しながら「判決!自分の仕業!」が決まった。
どうやら自分が担当している一連の業務の結果だけが印字されるらしい。
つまり、自分で自分の足を引っ張り、且つ人のせいにするなんて不埒な悪行三昧である。
ぬうううううう。。。。
あれだけ「人のせいにしてはいけませんよ!」と、日々心に誓っているのに。
これが未熟と言うものだろうか。
物を無くした時、その直前に関わっていた関係者を疑ってしまいがちになる。
そんな経験は誰にもあるように思う。
人生の中で何度も「疑ってゴメンよ」謝罪を繰り返してきたので、流石に同じ状況に遭遇したら「灯台下暗し、自分のせい」と言い聞かせるようにはしているが、それでもチラリと他人様を疑う自分を否めない。
悪気はないのだ。
ただただ器を大きくすべく土をこねている。
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