ボランティアという病 |
2016-8-30 17:40 |
著者:丸山千夏さん
「あなたは善意を押し付けていませんか」越権行為、必要のない物資、巨額の寄付金etc・・・の帯を見かけ、背表紙に書かれた問題定義に興味を持ち読破。
久しぶりの一気読みだったのだが、面白くて一気に進んだ訳ではない。むしろ、何が言いたいかわからないので先へ先へ進んだだけだ。
内容は、ジャーナリストである著者が、今年4月に起こった熊本地震の際にボランティアに立ち上がった公認・非公認の団体の行動の事実と噂を書き並べ、そもそものボランティアの歴史や過去の大震災時の様子が書かれているのだが、正直内容が浅い。
「そうなんだ・・・」と、自分も知らなかった事があり考えさせられるものもあるのだが、ジャーナリストの肩書があるのにネットで調べたような事しか書かれていなかったり、噂の事実を確認する為に熊本にいる団体に話を聞きに行かれているのに、本丸の責任者と対話が出来ていなかったり。その理由が「入れ違いで責任者が熊本にいなかったから」とも受け取れるような説明がチラリと書かれていて、一番裏どりをしなければならない内容なのに責任者とアポイントも取られず、突撃で現地入りしたものの団体加入1年にも満たない担当者に話を聞いているだけ、これでは根拠があるのかないのかの噂話をわざわざ本にする必要があるのだろうか?と思ってしまった。
小説ではないので起承転結が必要とは言わないが、非公認団体を批難したかったのか、著者本人はその団体を否定しようとしたけど、事実は藪の中、それとは別に行動力を褒めて、最初は悪者に描きながら本来はヒーローなんだよ、と読者を誘導したいのか、あちこちに話が飛んでは戻るので何が言いたいのかわからない。1冊の本というよりは本を書く前のドラフト資料の箇条書きを読まされた感じである。
とは言え、時として「何かしたい!」と思ってする人間の行動が、相手の状態も考えずに迷惑になってしまうというのは、指摘されなければなかなか気づかない。そう思うので気づきを題材にしている点では素晴らしいのに、内容が浅くなってしまった事が残念だ。4月の熊本地震発生から8月19日には本書の初版を出しているので、誰かに焦らされたのだろうか?と、妙に勘ぐってしまう。
自分は昨年10月に社内ボランティアで岩手県の釜石市に行った。釜石市は洪水被害にあったところで、動画サイトにも上がっているのだが、そこでボランティアを行っている団体の方々に対してコミュニケーショントレーニングを開催したのだ。
ボランティア団体も地元の方々で、彼等も震災で家や家族を失っていたりするのだが、色んな援助や補助を受け町は生活を取り戻し内側は整ってきている、次は復興へ向けて外側に向かってアピールをしていく活動が必要だ、ということでビジネストレーニングのボランティアだった。
震災から5年、色んなものが落ち着きを取り戻すと補助金の終了なども決まって来る。そうなると団体も解散し、各々仕事を探して社会復帰を行うことになる。
「何か自分でも出来ることを!」と思い立ち行動した人たちが、用が済んだら終わりというのも何だかなぁと当時は思っていたが、本書の一文に、
「他県からボランティアで来て頂くのは大変ありがたいが、そのまま居座らずに速やかに帰って欲しい」というのが地元民の本音としても書かれている。
自分が行った釜石市は、地元の人たちで作られた団体だったから少し話しは違うが、他県からのボランティアと地元民では、「協力してあげた」「協力してもらった」という意識しないにしろその関係性が出来る傾向にあるようだ。そして目に見えて何かを成し遂げた達成感は日常でなかなか感じることが出来ないので、大きな出来事で力を貸したことは心地よくなり居座ってしまうのかも知れない。
「ボランティアとは?」を考えるきっかけとしては本書は良かったのだが、如何せん残念な気持ちでいっぱいになる、という面もあり不思議な本である。
お勧めではないが、ボランティアについて改めて考えてみてはどうかと思い、今回久しぶりに読書レビューをしてみた。
自分は、これがきっかけになって読書スイッチが入ったので、積読山の登山を開始したのであった。
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