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地震3

翌日の日曜日。

原子炉の火災を受け、
「むむぅ。。。大津波警報も解けず、M8.0くらいの余震が数日中に来る恐れ、あげく原子炉火災。。。」
という漠然とした情報で弾き出した自分の答え。

「?!自宅待機が濃厚?!!」

となると、数日の食料は必要だなぁ。。。

なんて、この時はまだ食料買い溜めや品薄なんて言葉もあまり大きく報道されておらず、何となく水が不足してるくらいだと思っていた。

その朝8時。
24時間営業の近くのスーパーに行くと、ワラワラと数名の買い物客。
とりあえず4月までの賞味期限の金時やボイルするだけのスパイシーチキンなんかをカゴに入れる。
と、食パンコーナーで足を止める。
「物流状態の混乱のため商品入荷未定」

はうッ?!
その張り紙のある棚はガランと空きスペース。
すかさず棚の後ろに回りこむとダブルソフトの食パンが2斤ポツンと佇んでいる。
はうぅうううッ?!!!
水が無くなるであろう事は想像していたが、食パンも?!
しかも次の入荷未定?!
こうなると、日頃お高くて手を出さないダブルソフトにまで手が伸びる。
買い溜めと言うより、本当に食パンが切れて無かったので1斤取り上げる。

友人も近くのスーパーが開店したら買物に出ると言っていたので現状報告!
「水とか食パンとか、品切れ続出してる!!!」
とりあえずお買物は開店と同時にした方が良いのでは?
と、アドバイスを送る。

こういう人が買占めに走るから。。。
なんて思われると心外だが、サラリーマンにとって平日のお買物は困難で、週末に一週間分の食材をお買い上げすると言うのは今に始まった事では無いのである!
なのにこの非常事態で日常のお買物にまで支障が出始めた!
これは、朝から晩まで働く労働者にとっては死活問題!

自分は日頃から水はネットで箱買いしているので補充する必要は無いが、視察と称して水売場に足を運ぶと
「商品メーカーが地震により倒壊したため、商品入荷は未定となっております」
なんてな張り紙と共にガランと空いた棚。

そうか!
交通インフラの事しか頭に浮かばなかったケド、工場も被害にあってるんだ!
この時、今後暫くの品薄状況が想定された。
混乱やパニックになってはいけないが、普通に交通整備が整わない、製造メーカーが減少、なんて情報を得ると、
「いつもより多めに買っておこうかしら。腐るものじゃないし、無駄になっても使っていけばいいし」
こう考えるのが一般的な人間心理で、今回の買い溜め品薄状態に至っているのだろう。

また、この震災前のエジプトのデモで石油価格が高騰し、今後石油製品の価格が上昇するとも囁かれていた。
その情報も頭の片隅にあって、今後流通が復旧してもトイレットペーパーやティッシュ等の生活用紙は値上がりするのでは?!
なんて思いも大量買いに走らせたのだろう。

そういう自分は、とりあえず2日くらい外出禁止になっても大丈夫なくらいの食材と、原子炉を考慮して電気が無くなっても使えるものをお買い上げしようと、プラプラし始めた。

まず電気が無くなるという事で冷蔵、冷凍物は必要無い。
糖分は絶対必要だから、とりあえず日保ちするし。。。
なんていいながらチョコレートとビスケットを確保。
日頃からキャンディーは持ち歩いているのでその補充分を1袋。
ウェットティッシュを一袋。
マスクを一箱。
水以外の水分補給でファンタグレープ、ビタミンウォーター、午後ティーミルク、各500mlを1本づつ。

。。。お湯が出ないとなると。。。。
ここでオードリー春日さんのアイデアが浮かぶ!
。。。赤ちゃんのお尻拭き。。。1袋。
使わなかったら春日さんに送ればいいや!
この時は単純にそう思った。
今やもう使って無さそうだけど。

それからお酒コーナーに行き、ビール350ml缶6パックとぉ。。。。
あ!おつまみも必要よね!
乾き物とぉ。。。今日はクランベリーもお買い上げしよう!
すっかり目的が酒盛りに変わり、イソイソとおつまみを確保。

こうして自分なりの避難グッズが出来上がった。

ちなみに、このお買物は13日(日)に行ったため、「買い溜め禁止!」や「品薄が深刻化!」になるちょっとだけ前のお話である。

今や「被災地に物資が届かないから自粛して!」なんて連日騒がれる事態になっているのだが、東北・関東近郊にも震度5強の強い揺れが発生している。
被災地の事を思いながらも、自分達も不安で一杯なのだ。
余震も続き、眠れない夜を過ごし、自分は結局11日(金)の発生時から13日(月)までスニーカーを脱ぐ事が出来ず部屋で過ごした。

必要以上の買い溜め、ならぬ買占めは物資を必要としている人たちだけでは無く、被災地では無い場所での日常生活にも支障を来たし始めている。
現に、先週卵が切れてから、なかなか店頭でお見受けする事が出来ず、ようやく昨日6個入手する事が出来た。
物資を供給する事も大事だが、健康な自分達も生きるために食事は大事だ。

震災から10日。
相変わらずスーパーではガラガラの棚が多い。
テレビで何度「品物はありますから買い過ぎは止めて下さい!」
と伝えても、消費者にとって
「目にする光景こそが真実!」
になりつつあるのかも知れない。
今回の震災で政府やマスコミの情報に信頼が置けないのだ。

放射線についての情報公開も半信半疑で、「結局自分の身は自分で」という考えに向ってしまう状況をどう収拾するかが政治手腕なんだろうなぁ。。。

今ある最低限?の避難グッズで原子炉の動向を見守りたいと思う。

被災地の方々や避難中の方々は、今は耐え忍ぶ事しか出来ない。
その分、健康である自分達が、彼等の生計を建てる一歩のために働いて日本経済を盛り上げ、安定させて行く事が今自分に出来る事だと信じて頑張りたいのである。

地震2

緊張のまま一夜が明ける。

朝までの間に「緊急地震速報」の音が鳴る度に帰宅時に動いたワゴンを支えに向う。
何度かくリ返している内に右足が震える。
緊張で震えているのか、日頃の運動不足の筋肉に硬直が走っているからなのか、地震で揺れているのかさっぱり検討がつかない。

火の海と化している気仙沼の映像や津波の映像、そこに地震速報、都内は震源地が遠いとは言え、昼間の震度5弱を経験してからずっと神経はピリピリ。
流石に疲労困憊なのだが眠れない。
スニーカーを履いたまま頭に何も落ちない場所に横になり、余震の度に飛び起きる、
それを繰り返す。

大津波警報が一向に治まらず、翌12日は家から一歩も出ない事を家族や友人に伝える。
何かが起こった場合、携帯は全く役に立たないと言う事がわかっているので、避難した場合はお互いどこにいるのかだけを確認した。

そんな中、前日に帰宅難民となったクリニック勤務の友人は、帰宅出来ないとは言えベットもあったので駅で過ごした人たちよりは暖も取れていた。
しかし、当然緊張のため一睡もする事は出来ず、明け方電車運行再開と共に帰宅するつもりが、さっさと帰宅した院長が翌朝通勤してくると、
「医療で働く意識が低い!」
と、叱咤。そのまま開院のため仕事を始めた。

「こんな日に外に出る人いないでしょう?!!」
と言う自分の意見とは裏腹に、通常通りに患者さんは来院し、通常通りの一日を終えた。

前日会社待機となった友人が、朝方帰路につくと、駅前に「ゴルフ倶楽部御一行様」のワゴン車が停車しており、数名のゴルフ倶楽部を持参した人が乗り込んで行った。
「。。。昨日、地震あったよね?」
友人がポツリと呟く程、世の中にはいつも通りの日常を向えている人たちが多かったようだ。

自宅待機でテレビに噛り付き、危機管理レベルをハイにし、その一挙手一投足を見守っているスニーカーを履いたままの自分。
睡眠もままならず余震に怯える。
。。。なんだろう?この温度差は?
地震や津波だけでは無く、原子炉まで危険な状態になっているのに?!

この時もまだ、宮城の大災害を見ながら自分の身の危険に緊張していたのである。

地震

今回の地震は大変な事態である。

発生当時、自分はビル18Fにて仕事をしていた。

自分を含め、周りの人たちは
「あれ?目眩かなぁ?貧血?」
と各々に思い、そのまま仕事を続けるも、揺れが増し、ようやく
「地震?」
と顔を見合わせる。

段々と強くなる揺れに、キャスター付きのキャビネやコピー機が動き始め、椅子にも座っておられずそのまま皆机の下に潜り込んだ。

動き回る椅子、キャビネットの引き出しは飛び出し、書類が散乱。
幸い上から落ちてくる物は無く、壁や窓も平気だったが恐ろしく長い。。。
今までに地震は何度か経験しているが、本当に長かった。

自分は、叫び声を上げたりパニックになる事は無く冷静でいたつもりだったが、揺れが治まると心臓は高鳴り、初めて手足が震えるという経験をした。

「凄くゆれたねぇ。。。18Fだからかしら」
なんて床に散らばった資料を取り上げ、動いたキャビネ等を片付ける。
パソコンに向うもなかなか集中出来ない。
「設備点検で警備員が点検しているからそのまま待機して下さい」
ビル内にアナウンスが入る。

しばらく周りの人たちと地震の話題をしていると再度の揺れが始まる。
恐らく余震だろう。
今回は様子見をするまでもなく机の下に避難。
と、同時に自分はパソコンのデータを保存して電源を落とした。

再度長い揺れ。
一度目程の強さは感じられなかったが、とにかくずっと緩やかに揺れているので建物酔いならぬ地震酔い。
周りでも「気持ち悪い」という声が上がる。

その後、何度かの緩やかな揺れを感じた後、館内放送より
「全ての電車が停止しております。徒歩、または公共設備で帰れる人は帰宅して下さい」
のアナウンスが流れる。

自分は、バスで20分、徒歩で多分1時間30分くらいで帰れる距離なのでしばし考えたあげくビルに残る事に決める。
18Fという場所は悪いが、賃貸の自宅に戻るより、ビルの中の方が安全に感じられたからだ。
恐らく、耐震強度は自宅よりビルの方が良いと思われる。

フロア内に80名いた人々は早々と帰路につき、自分を含め7名程が残った。
自分以外は電車が無ければ到底帰れる範囲内にいない人々である。

パソコンを早々と落としてしまったので、状況を確認する事が出来ず、その時はまだ
「宮城で震度6強」という速報ニュースと、「津波で家が流されている」の情報しか知らなかった。

18時過ぎにビルを後にすると駅は封鎖され、駅前のバスターミナルには人が溢れかえっている。
バスに乗れなかったら歩く覚悟でバス停に向うと、タイミング良く目的のバスが到着、更にそのバスに乗る人は少なく、周りのギュウギュウ詰めのバスを尻目に乗客10名程で発車した。
バスの中で、数人の友人とメールが出来たので安全を伝え、まだボンヤリと「帰れない人は大変だなぁ。。。」と思っていた。

道路が大渋滞とのアナウンスがあったものの、30分程で最寄のバス停に到着。
下車すると側のタクシー乗り場には長蛇の列。
この時には既に携帯は全く通じず、メール送信もままならなかった。
後に兄からの連絡によると、16時には全く連絡出来ない状態だったようだ。

とはいえ、これは同じキャリアの携帯同士が通じにくかったのか、都内同士が通じにくかったのか、ソフトバンクの自分と、auの母、ドコモの親戚、ソフトバンクのハトコとのメールやり取りは問題無く出来ていた。

まだ15時以降の情報を仕入れていなかったので、事態の大きさを把握しないまま家に向うと、隣のアパートのタイルが崩れて道路に散らばっていた。
それを見ても、揺れが大きかったのは18Fにいたからだと思っていたのだろう、「大変だなぁ」くらいにしか感じなかった。

しかし、玄関を開けて改めて地震の大きさに驚愕する。
玄関に置いてあるキャスター付きの棚は倒れ、吊るしていた鍋やフライパンも落ち、スパイスが散乱している。

とりあえず棚を元に戻さない事には家の中に入れ無いので鞄を肩に掛けたまま片付け始める。
キュウスの取っ手が外れて割れているのを目にしたので、鞄に入れていた新聞紙を取り出し包む。
マグカップも1個割れていた。

ようやく玄関を片付け中に進む。
危険を感じ、ブーツのまま入ると、キャスター付きのワゴンが道を塞いでいたのと、棚に置いてあった本が散乱、しかしパソコン、テレビは無事だった。
ゴミ袋を取り出し、一通り片付け終えたのが2時間後の21時を回ったところ。
その時もまだ都内の帰宅難民の情報しか心配していない自分は、兄や友人にメールを送り続ける。

クタクタになりながらようやくテレビを点けると、衝撃的な映像!
それまで心配していた都内の帰宅難民問題を遥かに上回る凄まじい宮城の津波!!
地震発生から6時間以上が経過してからの現実に驚愕するしかなかった。
と、同時に都内とは言えども連絡の繋がらない友人達に安否の確認を急ぎたい!

固定電話を取り出し、何度もダイヤルを繰り返す。
運よく繋がった友人の携帯は、暫くして留守番電話に切り替わる。
?!!!不安が広がった後、暫くしてその友人から安否確認のメールが届く。
とりあえず無事らしい。
兄の安全は実家の母を通じて確認出来ていた。

残る友人には、一向に連絡が着かない。
その友人こそ、塗料製造の技術の仕事をしており、且つ、海に近い立地という勤務地なので不安が広がる。
1時間以上電話のリダイヤルを繰り返していると、ようやく友人から返信メールが届いた。
無事らしい。
会社規定により会社待機命令が出ていたのと、完全に歩いて帰れる距離では無いので、そのまま会社で一泊が確定していた。

一通りの安否確認をしてからテレビに噛り付く。
この間もずっと余震で揺れていたので、我が家の危機管理レベルは最高手前まで上がり、ブーツからスニーカーに履き替え貴重品だけを鞄に入れ、そのまま朝までテレビの前に座っていた。

発生当日は、宮城の被災地を心配すると共に、都内にも何が起こるかわからない不安で緊張状態が続いていたのだ。


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